クーリング・オフと権利濫用

訪問販売を受けて商品の購入やリフォーム工事等の契約をした場合、一定の期間、クーリング・オフ権を行使して契約を取り消すことが可能であることは、今日では知っている人が多いでしょう。
しかし、いつまで権利行使が可能なのか、正確に認識している人は少ないのではないでしょうか。

 

訪問販売におけるクーリング・オフ権は、特定商取引法4条及び5条に規定される法定書面を交付してから8日を経過するまでの間、行使が可能です(同法9条)。
法定書面に記載すべき内容は、契約対象の商品又は役務の種類や代金の額はもちろん、クーリング・オフ権の存在、行使の方法、行使の効果等多岐にわたっており、クーリング・オフに関する事項は赤枠の中に赤字で記載すべきことなどの記載方法の決まりもあります。

 

何らかの書面の交付があっても、法令の要求を満たしておらず、法定書面の交付として認められない場合、クーリング・オフ権の行使が可能な「8日間」の期間はスタートせず、改めて法定書面の交付がない限り、いつまででも権利行使可能であることになります。
そんな大事な法定書面ですが、訪問販売業者が不備のある書面しか交付しないことは珍しくない(※)ようです。

 

そして、クーリング・オフ権を行使するのに理由は必要ありません。
契約締結が強引であったとか、施工された工事が杜撰な欠陥工事であったとかいった事情は何ら必要ありません。法定書面の交付から8日を経過するまでの間は、理由を問われることなくクーリング・オフすることができるのです。

 

クーリング・オフすれば、消費者は、契約代金の支払義務を免れ、既に支払った代金があるときは返還を求めることができます(同法9条6項)。
しかも、リフォーム工事のような役務提供契約の場合、既に役務提供の一部又は全部が履行されていたとしても、その履行済部分の代金の支払義務を負うこともありません(同条5項)。むしろ、訪問販売業者の負担で原状回復するよう請求することができます(同条7項)。もちろん、請求しなくても構いません。

 

そうすると、訪問販売業者としては踏んだり蹴ったりですね。
業者の立場からすると、穏当に交渉をして契約を締結し、代金に見合った適切な工事を施工したのに、材料費も、人件費も、一切回収できなくなるのは不当だと考え、クーリング・オフ権の行使は権利濫用で許されない、といった主張をしたくなりそうです。
しかし、そのような主張をしても通りません。

 

ある裁判例の評釈で、学者は次のように述べています。
「Xは必ずしも強引な勧誘を行ったというわけでもなさそうである。他方、Yがクーリング・オフ権を行使した理由は明らかではない。しかし、クーリング・オフの要件が満たされているとすれば、Yの権利行使(クーリング・オフ権の行使-引用者注-)は正当であると言わざるを得ない」(大村敦志「指定商品性とクーリング・オフ規定の適用」ジュリスト1094号167頁)

 

別の学者も同じ裁判例に言及し、「理由の如何を問わず顧客の契約的拘束からの解消を許容する制度として設計されている以上、この結論は妥当なものというべきであろう(権利濫用ともならない)」と述べています(河上正二「『クーリング・オフ』についての一考察-『時間』という名の後見人-」法学60巻6号222頁)。

 

つまり、法律は、訪問販売業者がクーリング・オフによって「踏んだり蹴ったり」の目に遭うことを織り込み済みで立法されており、現に「踏んだり蹴ったり」の目に遭ったとしても、そこに「権利濫用」のような一般条項を持ち出して救済しなければならないような特別の事情は認められないのです。そうなることが嫌なら業者は、法定書面を正しく交付し、8日間のクーリング・オフ可能な期間が経過した後に工事に着手すればよいので、不都合は無いと言えます。

 

※R3年6月改正で、電磁的方法による提供で書面の交付に代えることが可能とされましたので、改正法の施行後は、業者が特定商取引法4条、5条の要求を満たすことは従前に比べると容易になると言えます。