2024/10/16 弁護士雑記帳
ミュージカル『ウィキッド』
先日、劇団四季のミュージカル『ウィキッド』を観ました。
『オズの魔法使い』を下敷きにした物語で2人の魔女の友情を描いている…という予備知識のみで、ストーリーにはあまり期待せず、歌と踊りの躍動感を楽しむつもりで劇場を訪れたのですが、幕が上がると次第に物語の展開に引き込まれることになりました。
ご存じでない方のために前半の荒筋を紹介すると…
緑色の肌を持って生まれたエルファバは、オズの国の寄宿制学校で学ぶ学生である。オズの国では、動物も人語を操ることができ、エルファバが慕う教師も山羊なのだが、なぜか動物たちは次第に言葉を失いつつあり、その教師も話すことが困難となって教壇を追われる。
魔法の才能を認められたエルファバは、同級生のグリンダとともにオズの都エメラルドシティーを訪れ、王宮で国王(僭主である「オズの魔法使い」)に謁見する。そこでエルファバは、動物たちから言葉を奪っているのが国王自身であること、その目的は、敢えて「敵」を作り出し、痛め付けることで国民の支持を得ようとする謀略にあることを知る。エルファバは家臣に取り立てようとする国王の依頼を拒否。王宮を脱出して、動物たちを救うために逃走する。一方、グリンダは、国王の謀略を知っても反抗せず、王宮に留まる。
国王はエルファバの掃討を命じるとともに、広報官に命じてエルファバを「悪い魔女」として、グリンダを「良い魔女」として国中に宣伝させる。
…というところで、一幕が終わります。
このように、『ウィキッド』では、『オズの魔法使い』において「悪い」と決め付けられている「西の魔女」が、実は、虐げられた人々(正確には人語を解する動物ですが)の解放のために戦う、いわばフリーダムファイター(自由の戦士)であった、と位置付けられています。そして、彼女の「悪い」という評価と「南の良い魔女」の「良い」という評価が浸透したのは、いずれも人心の操作に熱心な国王のプロパガンダによるものであり、実態としては、国王にとって不都合なものが「悪い」とされ、好都合なものが「良い」とされていただけであったことが曝かれます。
『オズの魔法使い』の世界観の転倒が、とても小気味よく、幕間では、「この後、ストーリーは、どう展開するのだろう。この転倒させた世界観に基づいて『オズの魔法使い』の世界を全部、描き直してみせるのだろうか」とワクワクした気分になりました。
私が「小気味良い」と感じた理由は言うまでもありませんが、世間で広く共有されているナラティブ(物語)が為政者のプロパガンダに過ぎない可能性や、世間で広く共有されている「善悪」の評価が為政者の都合で決定されたものである可能性をこの劇が示唆していることにあります。
たとえば世界には、自国の領土から遠く離れた外国を空爆したり、さらには軍隊を派遣して外国の領土を占領したりする大国があります。あるいは、武力侵攻で民間人に夥しい被害を与えている外国を武器弾薬の供給や資金援助で支援する大国があります。
それらが「独裁者」の圧政から民衆を救うため、「テロリスト」を一掃するため、などと称されているとしても、その実態は当該大国の為政者にとって不都合なものが「悪い」とされ、好都合なものが「良い」とされているだけではないのか、を慎重に見極める必要があることをこの劇は教えているように私には思えます。
さて、ワクワクして見た後半(二幕)はどうだったかと言うと…これから観劇される方もおられるでしょうから、ネタバレにならないよう、その後の荒筋には触れずにおきます。
率直に感想を言うと、突き抜けるような爽快感は無く、むしろ、やや鬱屈した思いを抱かせられる後半の展開でした。
ただ、ラストは「その後」を膨らませることができる伏線が置かれたと言ってもよさそうなラストになっています。「続編」があってもよいのではないか、そこでは為政者による情報操作の呪縛から人々が解放される日が描かれるべきではないか(劇中では、国王のプロパガンダがプロパガンダであったことを人々が知ることは遂にありません。)、などと考えながら劇場を後にした次第です。
なお、このミュージカルには原作があるそうです。原作(グレゴリー・マグワイア『ウィキッド―誰も知らない、もう一つのオズの物語』)も読んでみたいと思っています。