法律問題コラム

2024/06/26 法律問題コラム

ロール網戸事故事件の判決について

本年(2024年)3月14日、ロール網戸の事故に関する訴訟の判決が大阪高裁でありました。ロール網戸の操作コードが6歳の女児の首に絡まり、女児が窒息死した事故について両親ら遺族が提起した損害賠償請求訴訟の控訴審判決です。当職は、両親ら原告側の代理人(複数受任)として関与しました。一審の大阪地裁は請求を退けましたが、大阪高裁は一転して請求を認容したうえ、過失相殺も否定する判断をしました。新聞・テレビ各社が報じましたので、目にされたことがあるかも知れません。
この判決について、ご紹介したいと思います。
(判決全文を最高裁ホームページで見ることができます。)

〈目次〉
事案の概要
製品の「高度の危険性」
クリップによる安全対策の脆弱性
「指示・警告上の欠陥」の肯定とその意義
施工業者の過失
過失相殺の否定
ネットの反応
本判決がより広く正しく知られることを願って

事案の概要

事故は、二世帯住宅として住めるように2階部分の全面的なリフォームをした家屋に女児の家族が入居して3日後に起きました。窓に設置する網戸をロール網戸にすることは、リフォーム業者が当該業者の「標準仕様」であるという理由で決めたことでした。リフォーム業者は両親にロール網戸のカタログを見せることをせず、見積書等にも記載しておらず、両親は、窓にロール網戸が設置されることを事前に認識していませんでした。

設置されたロール網戸には、網戸の昇降を操作するためのコードが付いていました。そのコードは、製品の上部にある網戸を収納するケースから垂れ下がり、優に子どもの頭が通るサイズのループを形作る態様のものでした。
同様に操作コードが付属し、窓に設置される製品としてはブラインド、ロールスクリーン等がありますが、これらの製品は総称して「紐付き窓カバー」と呼ばれることがあります。

紐付き窓カバーのコードに子どもが縊頸する事故は過去に繰り返し起きています。OECDが2016年に実施した調査では、2006年以降、世界15か国で250例以上の死亡事故が報告されていました。日本でも消費者庁が2016年に実施した調査で、2007年以降に10件の縊頸事故の発生(うち3件は死亡事故)が確認されています。
東京都は紐付き窓カバーの安全対策を検討し、2014年2月、事業者団体に対してコードレス製品など安全性の高い商品の開発・普及等を提言することを含む報告書を公表していました。
2017年12月には、「家庭用室内ブラインドに付属するコード」の安全性に関するJIS規格(JIS A4811)が制定されています。

本件のロール網戸には安全器具として操作コードを高い位置で束ねておくためのクリップが付属していました。しかし、その説明書は製品に添付されておらず、施工業者も説明しなかったため、両親は、クリップの存在に気付いていませんでした。のみならず、そもそも製品から操作コードが垂れ下がっていてループを形作っていること自体も、事故の前に両親の意識に上ることはありませんでした。
事故当日は平日でしたが、女児が通園する保育園の休園日であったことから、両親は建物1階に居住する女児の祖父母に女児の世話を依頼して外出していました。

当職らは両親ら遺族から依頼を受け、ロール網戸の製造業者に対し、製品に欠陥があったとして製造物責任法に基づく損害賠償を請求し、リフォーム業者に対し、製品の選定、施工、施工後の物件の引渡しの各段階において過失があったとして不法行為に基づく損害賠償を請求する訴訟を提起しました(その他に、支払済みの金員のクーリング・オフ権行使による返還請求も併合して提起しており、リフォーム業者からは残代金を請求する反訴が提起されましたが、それらの点の解説は本稿では省略します。)。

製品の「高度の危険性」

判決は、本件製品について、付属する操作コードに子どもの首が引っかかった場合には縊頸して2~3分で死に至りうることを指摘して「子供の生命・身体に対して高度の危険性」を有しているとし、したがって、その「高度の危険性」が現実化するのを防止する安全対策が不十分であれば欠陥があると判示しました。
判決が指摘したこの危険性は紐付き窓カバーであって、操作コードが子どもの頭部が入る長さのループを形作る製品であれば共通するものです。したがって、その種の製品全般について、判決の指摘(縊頸事故を防止する安全対策が不十分であれば欠陥があること)は妥当するといえるでしょう。

この点、本件製品の製造業者は、本件製品が持つ危険は「使用方法に起因する危険」に過ぎないと主張していました。こんにゃくゼリー事件の大阪高裁判決(H24.5.25)が「欠陥」を否定する際に、こんにゃくゼリーの危険性は「食べ方の問題」であると述べたのにならったものと考えられます。

使用者の使用方法が製造業者の予定する使用態様から外れた場合に事故が生じるような製品について、一般的に、それは使用方法に起因する危険であって製品自体の危険でないと言ってしまえば、使用者の使用方法次第で事故の発生を回避できる限り、その製品自体には欠陥が無いとする判断基準を採用することになりかねません。果たして、そのような理解で良いのでしょうか。
上記裁判例は製品自体の危険でないということから直ちに欠陥を否定しているわけではありませんが、製品自体の危険でないとする評価を前提として、製品が「通常有すべき安全性」を備えるために必要な対策のレベルを(設計に関しても、指示・警告に関しても)低く設定しているように読めます。

そのような理解は、突き詰めるなら、製品事故の発生は第一義的には製品の使用者自体において回避すべきであって、使用者自身には一切、落ち度がない場合に初めて、製造業者の責任を問うべきものとする見解に行き着くでしょう。
そのような見解が不合理であることは明らかです。本来、製品事故の発生について製造業者に過失があるなら、製造業者は、民法709条に基づいて責任を負い、製品使用者の過失は、過失相殺において考慮されるに止まります。製造物責任法は、その目的規定(同法1条)において「被害者の保護」を掲げており(同法1条)、被害者保護の観点で民法よりも後退した解釈が正当なはずはありません。

製造物責任法には被害者の無過失を製造物責任の要件とする規定などありません。
それどころか、同法は、欠陥の有無を判断するための考慮要素の一つに「通常予見される使用形態」を挙げています。「予定される使用形態」ではなく、「予見される使用形態」ですから、合理的に予見できる範囲では「適切な使用方法として予定されている使用形態」から逸脱した使用も考慮されることが想定されています。

予定から外れた一定の使用形態に伴って生じる危険については「使用方法に起因する危険」であるとし、安全対策が貧弱であっても欠陥にはあたらないとする立場は、製造物責任法の立法趣旨を損ない、法文からも乖離し、論理性に欠けるものとの批判を免れないでしょう。
本判決は、通常予見される使用形態において縊頸が生じうることを理由に製品に「高度の危険性」があること(そして、これに対する安全対策が不十分であれば「欠陥」が肯定されること)を認めており、そのような立場を採用しないことを明確にしたものと言えます。 

クリップによる安全対策の脆弱性

判決は、クリップによる安全対策について、「確実に実行されれば」子どもの縊頸事故を防止できるものであったとし、安全対策をクリップに頼ることが設計上の欠陥にあたることについては、これを否定しました。

一方で、判決は、操作コードの危険性を直感的に把握することの困難性、ひとたび設置されると長期間使用され、使用者が交替する可能性もあるという住宅設備としての特性、操作コードを使用する度にコードをまとめ、クリップで留めるという作業を使用者が行うことによって初めて効果を発揮するという安全器具としてのクリップの特性等を指摘し、クリップの使用による安全対策が製品使用者によって「日常的かつ継続的に確実に実行されるために十分といえるだけの指示・警告がされる必要があった」としました。

すなわち、判決は、クリップを安全対策として、それ自体が当然に不十分なものとは認めませんでしたが、しかし、それが脆弱な安全対策であることを認め、通常有すべき安全性を備えているといえるために必要な指示・警告については、(クリップの使用が)「日常的かつ継続的に確実に実行されるために十分」といいうる高度のものを要求したのです。 

「指示・警告上の欠陥」の肯定とその意義

そして、判決は、次の3つの事実を指摘して、本件製品には、指示・警告上の「欠陥」があったとしました。
① コードにクリップとタグが装着された状態で出荷されていなかったこと。
② 使用者向けの取扱説明書が製品に同梱されていなかったこと。
③ タグ及び取扱説明書に「警告」の表示がなかったこと。

つまり判決は、本件製品の指示・警告について、上記3点を理由として、「日常的かつ継続的に確実に実行されるために十分」とはいえないと判断した、ということになります。
どこまでやれば「十分」と言えるのかは評価の問題であり、明確な判断基準が示されているわけではありません。
ただ、判決が指摘する次のような事情を踏まえると、少なくとも上記3点の事情が認められる本件では「十分」と評価できない、とした判断は、ごく常識的なものというべきでしょう。

  • 上述のブラインドに関するJIS規格(JIS A4811)は注意表示を製品本体又は本体に付属したタグ等に注意表示を施すよう求めていたこと。
  • 日本ブラインド工業会は、クリップをコードに装着した状態で出荷することとする自主基準を設けていたこと。
  • 上記JIS規格は取扱説明書とタグの双方に禁止事項・注意事項等を記載するよう求めていたこと。その附属書では、取扱説明書及びタグの表示例として「警告」の文字が用いられていたこと。
  • 日本ブラインド工業会の自主基準が定める注意表示では「警告」の文字が用いられていたこと。
  • 同業他社(LIXIL)は、同種製品に取扱説明書を同梱しており、また、取扱説明書とタグに「警告」の文字を用いていたこと。

上記3点の事情のある本件では、「十分」でないことは明らかであったから、判決は、それ以上のことを言う必要がありませんでした。
しかし、では、上記3点の事情がなければ、それで「十分」だといえるでしょうか。

判決は、本件製品が数年単位で使用される可能性が高く、その間に使用者が代わる可能性があることを指摘しています。そのことも理由の一つとして、クリップは脆弱な安全対策であるとしているのです。
使用者が代わってしまうことを念頭に置いたとき、上記3点の事情がなければ、クリップの使用が「日常的かつ継続的に確実に実行される」といえるでしょうか。

たとえ、出荷時にはクリップとタグが装着されていた(①)としても、最初の使用者がクリップは不要だとして廃棄してしまえば、クリップとタグが二代目の使用者の目に触れることはありません。
同様に、取扱説明書が製品に同梱されていたとしても(②)、最初の使用者が廃棄してしまえば、二代目の使用者が取扱説明書を目にすることはありません。
そして、最初の使用者がタグ及び取扱説明書を廃棄していたなら、たとえ、それらに「警告」の表示がなされていても(③)、二代目の使用者が「警告」の文字を目にすることはありません。

そうだとすると、たとえ上記3点の事情がなくとも、クリップの使用方法及び使用しない場合のリスクをタグ及び取扱説明書で警告する、という方法によっては、クリップの使用が「日常的かつ継続的に確実に実行されるために十分」とは言い難いように思えます。

したがって、本件では、上記3点の事情があることからそれ以上の指摘を要することなく欠陥ありと認定されましたが、判決の指摘した事情とその価値判断を前提とすれば、上記3点の事情は認められない事案であっても、なおクリップの使用が「日常的かつ継続的に確実に実行されるために十分」かどうかが慎重に検討されるべきこととなり、「十分」でないと評価されて欠陥が認められる可能性は充分にあるものと思われます。

そう考えると、本判決は、紐付き窓カバーの製造業者に対し、クリップによる安全対策そのものを見直すことを強く迫るものといってよさそうです。 

施工業者の過失

本判決は、製品の欠陥を認め、製造業者の責任を肯定しただけではありません。本件製品を設置する工事を行ったリフォーム業者の責任をも肯定しました。

判決は、まず、リフォーム業者の担当者が本件製品には子どもの縊頸事故の可能性があること及び発注者の家族に幼稚園児を含む子どもがいることを知っていたこと、本件製品を設置することは当該担当者が決めたことなどの事情から、当該担当者には本件製品のコードによる縊頸事故の危険が現実化しないよう配慮する義務があったとしました。

具体的には、施工説明書に記載された方法でコードにクリップを装着する義務、取扱説明書を交付する義務及びコードの危険性及びクリップの使用方法について説明する義務があったとし、これらを怠った過失を理由に不法行為責任を認めました。

本件製品に欠陥を認めたことと並んで、このことも大変、意義深いことであると思います。
本判決は、紐付き窓カバーを設置する建築業者にとって、コードの危険性と安全器具の使用方法を顧客に説明したことを立証できなかった場合、万一の事故の際に責任を負わされる危険があることを意識させることでしょう。
そうすると、建築業者は、少なくとも子どもを含む家族が住むこととなる住居に紐付き窓カバーを設置することについては慎重にならざるをえないでしょう。とりわけ本件のように設置する製品の決定を施行業者が主導して行う場合、賢明な業者であれば、縊頸事故の危険のある紐付き窓カバーを選択から排除することとなることが推測されます。 

過失相殺の否定

さらに本判決の特徴的な点として、過失相殺を全面的に否定したことがあります。
製造物責任に関する裁判例では、「責任を肯定した裁判例」として有名であっても、過失相殺を認め、賠償を命じる額を大幅に減額しているものが珍しくありません。
本件でも一審被告らは過失相殺を主張していました。しかし、判決は、過失相殺を一切認めませんでした。

まず被害女児の行動については、女児に事理弁識能力が認められないという理由で過失相殺を否定しました。
この点、文献では、「5、6歳程度で事理弁識能力ありとする裁判例が多い」などと紹介されることがあります。しかし、「事理弁識能力」とは自己の危険を避けるための契機となる自己に危険であるという事実の弁識の能力です。したがって、侵害される法益の種類や侵害態様との関係で相対的に判断されるべきものであって、年齢によって当然に存否が定まるものではありません。コードに縊頸して窒息死する危険があることは大人でも直感的に把握することが困難であり、6歳児に弁識できるものではなく、判決が事理弁識能力を否定したのは全くもって正当というべきでしょう。

一審被告らは、両親の行為についても取り上げ、クリップを用いなかったことや外出に際して椅子を被害女児の手の届かないところに移動する措置を採らなかったことなどが「被害者側の過失」にあたると主張しました。
判決は、両親がクリップを認識していたとは認められないこと、被害女児が危険な行動をしていたといった事情があって何らかの措置を採るべき状況があったとはいえないことなどを指摘して、一審被告らの主張を退けました。

また、一審被告らは、事故発生時に建物の1階にいた祖父母についても、被害女児を2階に一人で放置したことなどの過失があり、これが被害者側の過失にあたると主張しました。
しかし、判決は、事故前に被害女児が危険な行動をしていたといった事情がなく、2階で一人で過ごすことを許すことによって危険が生じると想定される状況ではなかったことを指摘し、この主張も退けました。

過失相殺は、裁判所がこれを認めた場合、被害者は損害賠償を一定の範囲で否定され、その範囲では損害を自ら負うべきものとされることを通じて、判決で「過失」と評価された類の行為をしてはならないという行為規範を事実上、生み出すことになります。

もしも、子どもに事故を予見させるような危険な行動があったのなら、親や親から子守を頼まれた親族は、危険な物を取り除いたり、子どもに注意を与えたりして、その危険を回避するために必要な行動を採るでしょう。
しかし、そのような行動が具体的に何もないのに、およそ家の中にあるあらゆる危険を取り除かなかったから、あるいは、あらゆる危険について注意を与えたうえで外出しなかったから、といった理由で「過失」が認められるなら、親は、およそ子どもに留守番をさせてはならないという行為規範が生み出されることになるでしょう。

少子高齢化が進み、政府が「一億総活躍社会」のスローガンを掲げるなどして高齢者・女性を含む就労可能人口の全員に就労させようと努力している時代に、子どもに留守番させることを禁止する行為規範を設定することは、社会の要請に適合しないというべきでしょう。

また、保護者が幼児と別の階にいたことで「過失」とされるなら、子どもと別の部屋で在宅ワークすることも禁止される行為であることになるでしょう。子どもを部屋に一人にしてはならないという行為規範の設定も、今日の社会的要請に反しています。

したがって、判決が一審被告らの求めた過失相殺を拒否したことは、不適切な行為規範の設定を回避する観点からも適切であったというべきでしょう。 

ネットの反応

本判決が報道されると、ネット上には「親が注意すべきだ」などとして判決を批判する書込みが溢れました。そんな反応を生じたのは、報道の伝える事案の内容が断片的であったことにも一因があるのだと思います。本件製品の設置を決定したのがリフォーム業者であったこと、事故はリフォーム後の建物に入居した3日後のことであり、両親は、事故までクリップにも、操作コードの存在すらも気付いていなかったこと、などの事情が報じられていれば、反応が少しは違っていた可能性があるでしょう。

しかし、同種の裁判に関するネット上の反応を見ていると、この手の事件についてのネット世論は、とかく親を断罪し、損害賠償を求めようとする親の行動を他責思考として非難する傾向にあるようです。
メーカー等の責任を認めた判決が報じられるや、詳しい事情も分からないのに判決への批判を投稿する人々には、子どもの事故を避けるのは親の責任であり、他の誰かの責任を問うのは身勝手で許されないことだと考えている節があります。

しかし、子どもを取り巻くあらゆる危険に対して専ら親のみが注意を求められるなら、わが子を失いたくない親は、考え得るすべての危険から子どもを遠ざけて生活させること、極端に言えば、檻の中で育てるようなことを余儀なくされるでしょう。
皆さんは、そんな社会に暮らしたいですか。

製造業者が製品事故を招かない安全な製品を製造・販売するために最善を尽くす社会。もしも製造業者が期待される安全性(典型的には国が製品安全のために定めた標準や同業他社の大半が採用している安全対策)の水準を満たさない製品を製造・販売し、利益を得ていた場合に当該製品で事故が起きたなら、その被害者の被った損害は製造業者によってきちんと賠償される社会。その方が暮らしよいとは思いませんか。 

本判決がより広く正しく知られることを願って

この点、欧米諸国では、わが国に先行して製品の安全性の不備自体を要件として製品事故被害者による損害賠償請求を認める判例が蓄積され又は立法が進められ、そのことが製品安全の追求を製造業者に促してきました。わが国においても、大規模な欠陥製品事故の相次ぐ発生(ヒ素ミルク事件、サリドマイド事件、スモン事件、カネミ油症事件等)や、諸外国の動向から、製造物責任の法制化を求める声が高まった結果、製造物責任法(PL法)の制定に結実し、同法は1995年に施行されました。

製造業者の「過失」の立証を必要とせず、製品の「欠陥」、すなわち製品が通常有すべき安全性を欠いていることを理由として損害賠償責任を認める製造物責任制度は、不幸にして、偶々、製品事故の犠牲となった被害者の救済に資するとともに、製造業者に対し、より安全な製品の開発・製造・販売へのインセンティブを与え、製品事故を未然に防ぐことに寄与するものです。

製造物責任法及び同法に基づく個々の被害者の救済を通じて、より安全な製品を手にすることができるように仕組まれた社会が現在の日本社会です。私たちは、意識すると否とに関わらず、その仕組みの帰結である安全に配慮された製品に囲まれて暮らしているのであり、知らず知らず、同法の恩恵に浴しています。被害の救済を求める個々の被害者の法廷闘争もまた、同法を実効性のある生きた法とすることによって、私たちすべてに恩恵をもたらしているということができるでしょう。

本判決を受け、窓カバー製品の製造業者が製品安全を一層追求するようになること、とくに子どもの頭が入るサイズのループを形作るコードが付いた製品から、そうではない製品への置き換えが進むこと、その結果、紐付き窓カバーによる子どもの縊頸事故が二度と起きなくなるようになることを期待しています。

また、この判決がより広く知られ、その内容の理解が進むことで製造物責任制度の意義に対する理解が促進されることを期待します。そして、製品事故の被害者が世間の非難を怖れて泣き寝入りするようなことがなく、製造業者がより製品安全を意識し、流通する商品がより安全であるような社会となって、悲しい事故が防止されることの一助となるように祈ります。