2014/08/17 弁護士雑記帳
ミュージカル『ライオンキング』
お盆休みに家族で劇団四季の『ライオンキング』を観劇しました。私は、これまでディズニー映画の『ライオンキング』も観ていませんでしたので、初めての『ライオンキング』体験でした。
豪華な舞台装置や動物を表現するために衣装と一体となった人形とその巧みな操作は、見ていて楽しいものでしたし、迫力ある歌やダンスも感動的でした。
ですが、そのストーリーには強い違和感を覚え、落ち着かない気分を終始、拭うことができませんでした。
ライオン「キング」だから、そこが王国であって、聡明で勇敢な王のもとで、国民である動物たちが幸せに暮らしている、というプロローグはまあよしとしましょう。
しかし、王国の外(あるいは辺境)に住むハイエナたちが、怠惰で卑劣で愚かな種族として描かれるのは何故か(ハイエナにだって生活があり、親も子もあるでしょう。王国の民と異ならない生活がそこにはあるでしょう。)。
そのハイエナたちを利用して王を倒す人物が、徹底して邪悪な人物として描かれるのは何故か(権力に逆らう者は悪ですか。)。
王位を簒奪した僭主のもとでは、一転して国民が塗炭の苦しみをなめることとなるのは何故か(王国の治安を乱し、外国に隙を見せるとこうなるとでもいうのでしょうか。)。
僭主を倒して国民を救う者は、どうして新たな王でなければならないのか(民衆はカリスマ的な指導者に指導されるしかない存在ですか。)。
その救世主は、どうして先王の子でなければならないのか(民衆を危機から救えるのは高貴な血脈のみということでしょうか。)。
そこには、まるで、この世には生まれながらにして尊く正しい者と卑しく邪悪な者がいるというメッセージが込められているかのようです。
あるいはまた、国民の幸せな生活を守るためには、正統な王の血脈を維持することや、国民を指導する指導者のもとで団結することが大事だと訴えているかのようです。
それは勘繰りすぎで、子供をターゲットにした演目だから、徹底して分かりやすくしただけのことだ、というのが制作者側の考えかも知れません。
しかし、子供をターゲットにしていればなおさら、上述のようなメッセージを送りかねないストーリーを提供して良いのか、と疑問を感じます。
脚本が基本的にオリジナルに沿ったものだとすると、文句はディズニーにいうべき、というところでしょう。
しかし、劇団四季は何故、この演目を選び、ロングラン公演までしているのでしょうか。
小学校4年生のときに学校行事として観劇したファミリーミュージカル『モモと時間泥棒』に感動し、それ以来、「劇団四季のミュージカルは素晴らしい。」と信じているだけに(だから、自分の子どもたちも、ファミリーミュージカルにたびたび連れて行ってきました。)、残念に思います。