特定物ドグマの放棄と錯誤論の変容

一昨日、民法(債権法)改正に関する大阪弁護士会の研修を受講しました。山本敬三・松岡久和・潮見佳男の三教授による連続講演会という豪華な企画の三回目でした。
いずれの回も、充実した内容でしたが、三回の講演の中で、とくに印象深かったのは、山本敬三教授がお話された、瑕疵担保責任に関する契約説の採用が錯誤の解釈に与える影響についてです。
(少々理屈っぽい話になりますが、よろしければお付き合いください。)

 

従来、瑕疵担保責任については、法定責任説と契約責任説の対立があり、法定責任説が通説とされていました。瑕疵担保責任は、売買の目的物に瑕疵があった場合に契約の解除や損害賠償請求を認める制度ですが、法定責任説は、瑕疵担保責任を特定物の売買でのみ認められる責任であり、その代わり、特定物売買では修補請求はできないのだとします。その背景には、特定物の売買は「この物」を売る・買うという契約であるから、売主の義務は「この物」を引き渡すことに尽きており、引き渡した物の性状に瑕疵があったとしても、債務不履行にはならないという見解(「特定物ドグマ」と言われます。)がありました。
改正民法では、近年の多数説であった契約責任説が採用された結果、瑕疵担保責任は、特定物売買、不特定物売買に関わらず適用されるものであることが明確となり、かつ特定物売買であっても修補請求が可能となりました。
そこまでは、民法改正を紹介するどの文献にも書かれていることです。

 

山本教授が示唆されたのは、その結果、錯誤論にも大きな変化が生じることになるという点です。すなわち、従来、錯誤の分野で大きな論点として「動機の錯誤」という問題がありました。錯誤とは内心の意思と表示された意思との齟齬を表意者が認識していないことといわれますが、「動機の錯誤」では、表示された意思に対応する内心の意思があるので、錯誤といえないのではないか、どのような事情がある場合にどのような理屈で錯誤といえるのか、が問題とされてきました。その典型的な例として、受胎した良馬と信じて買い受けたが、事実はそのような性質のない馬であったというケースが上げられていました。この例では、意思表示の内容は「『この馬』を買う」というものであり、表示された意思と一致する内心の意思が買主にはあり、「『この馬』が受胎した良馬だから買う」という縁由(動機)に錯誤があるに過ぎない、という理解を前提に説明されてきました。
しかし、上の例で、意思表示の内容が「『この馬』を買う」というものでしかありえない、という理解が、そもそも特定物ドグマを前提としたものであると考えられます。改正民法が法定責任説を否定することで、その背景にある特定物ドグマも否定されたとすると、「この馬」ではなく「受胎した良馬であるこの馬」についての売買であると考えることに支障がなくなります。だとすれば、「受胎した良馬と思って馬を買ったが、実はそうではなかった」という事例は、具体的な事情次第では、「動機の錯誤」などではなく、表示された意思に対応する内心の意思が欠ける例に過ぎないと考え得ることになります。

 

今般の民法改正の内容は多岐にわたりますが、それぞれの条文、それぞれの論点のみでなく、他の遠く離れた条文の解釈にまで大きな変化をもたらす場合があると考えると、改めて大きな改正であると実感させられます。
また、潮見教授が繰り返し説かれていましたが、改正民法には解釈に委ねられている点が多く残されてもいます。弁護士は、職業上、その解釈が固められていく営みに関わる者といえます。研鑽を怠らず、奥深い改正民法の研究に励む必要があると改めて痛感したところです。